その爽やかな笑顔に目を見張る。絶句している美鶴を見て、山脇は面白そうに笑った。
「どうしたの?」
「べ、別にっ 何がよ?」
「目が丸い」
「悪かったわね」
動揺しているのを悟られまいと強い口調で言い返して、背を向ける。
「悪いなんて言ってないよ」
「あっ そう」
飽くまで冷ややかに対処する相手に、だが山脇は嬉しそう。背後から笑み声すら漏れてくる。不覚にも足を止め、振り返ってしまった。
「何よ?」
「別に」
別にって顔でもないんですけど
明らかに笑われているであろう状況に不愉快さを滲ませる美鶴。だが山脇は、また笑った。
「嬉しくってさ」
「何が?」
「君が来てくれて」
………… コイツ、頭のネジ、二・三本抜けてんじゃないの?
無視無視っ
侮蔑の視線を投げて置き去ろうと踵を返す。
と、肩にするりと腕が乗せられる。
―――――――っ!
辺りに広がるは悲鳴。割れんばかりの勢いで、清々しい朝をブチ壊す。
「ちょっ… なにすんのよっ!」
「別にぃ」
意地の悪そうな笑みを湛えながら、それでも爽やかさを失わないとはっ!
憎らしいほど魅力的な瞳を向けられて、カッと頭に血がのぼる。抑えきれずに叫ぼうと口を開くが、叫び声は背後から。
「あ―――――っ!」
突風のような声に驚いて振り返ると、大口を開けた聡が立ち尽くしている。
「山脇っ! テメェなにやってんだぁ―――っ!」
「なにって、別にぃ」
ニヤニヤと笑って、此れ見よがしに美鶴の肩を引き寄せる。再び悲鳴が巻き起こる。
「やめろ――っ!」
聡は悲鳴に負けないほどの怒声をあげて、ビッと美鶴を指差した。
「美鶴っ、俺は考えたっ!」
そう言うと、聡は胸を張って大きく息を吸う。そして、天を仰ぐように顎をあげた。
「俺は――っ! 大迫美鶴のことがぁ! 好きだぁ―――――っ!」
なっ――― っ!
なにを、コイツは……
もう悲鳴なんて聞こえない。全身から血の気が引くのを感じ、目の前がクラクラする。
なんで? なんでこんなことに?
両手を頬に当てて考えるも、頭の中が真っ白で考えられない。
聡は両手を腰に当てると、自慢気に山脇を見返した。呆然とする美鶴の肩を抱えたまま、山脇はちょっと悔し気に肩を竦める。
だが、やがてまたニヤリと口元を吊り上げると、グイッと美鶴を抱き寄せる。
――――――っ!
時間差で伝わる山脇の温もり。重ねられた唇からじんわりと広がってくる。
ぎょ………
ぎょえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――っ!
飛び掛る聡が、ワケのわからない叫び声をあげながら力ずくで二人を引き離す。勢いで身体が揺れる。
「山脇ぃっ!」
鬼のごとき形相にも、山脇はいたって涼し顔。もう辺りは黒山の人だかり。メチャクチャでワケがわからない。
膝がガクガクと震えて、今にも崩れてしまいそうだ。
「な、な… なっ ……」
唇も震えて声にならない。
そんな美鶴に、山脇は首をちょっと傾げて笑った。まるで悪ガキが悪戯を成功させた時のような瞳。
「どう? これで僕が本気だってわかってくれた?」
はぁ?
「やっぱ君には正攻法が一番だと思うんだよね。ヘタな策略なんて疑われるだけだし」
その横で聡が、腕を組んで半眼で見下ろしてくる。
「これでも信じねぇワケ?」
何が?
「ここまでやって信じてもらえないと、正直キツいなぁ〜」
だから、何がっ!
「でも、もう後戻りもできないしぃ」
後戻り……って
「まぁ お前は昔から変なところでガンコだったからなぁ」
お前っ 私のどこまでを知ってんだよっ!
だいたいっ! そんなことの為にこんなところで叫びあげて、こんなところでキ……
沸きあがらる唇の感触にクラつく頭を抑え、全身を覆う脱力感に耐える。
ふっ………
「ふざけるなぁ―――っ!」
腹いっぱいに吸い込んだ空気を利用して、天へ向かって怒鳴りあげる。我慢なんてできるわけがない。両手を握りしめて、振り仰ぐ。
だがその先には、余裕たっぷりの瞳が四つ。
「そうそう。美鶴はそうでなくっちゃね」
片目を瞑って楽し気な聡。
我に返って両手で口を抑えるが、もう遅い。周囲に増える野次馬どもへ、視線を巡らす勇気もない。
並んで美鶴を見下ろす二人に、眩しいほどの朝日が差し込む。
………アホだ
その顔は自信に満ち溢れ、後ろめたさなんて微塵も感じさせない。
………イカれてる
羨ましいほどに清々しく、憎たらしいほどに美しい。
コイツら ――――危険だ
美鶴はクルリと向きを変え、無我夢中で走り出す。
「おいっ!」
聡が慌てて呼び止める。
「どこ行くんだよっ! 校舎はこっちだぞ! 何壊れてんだよっ!」
壊れてんのはそっちだろっ! ポンコツッ!
すべてを無視して校門へ向かう。
こんな状態で授業なんて受けられるかっ!
全校生徒の視線を浴びながらエスケープ。浜島に後からどんな嫌味を言われるかわからない。それでも美鶴は、彼女なりの全力疾走で校門を駆け抜けた。
若葉からの木漏れ陽が、新緑の到来を告げている。風に揺れて陽の光も波を打つ。晴れ渡った青空を楽しんでいるかのようだ。それは、これから美鶴の周辺で吹き荒れるであろう嵐を見透かして囁き、声を潜めて笑っているようにも見える。
美鶴はそうでなくっちゃね
違うっ!
胸に湧き上がる苛立ちを抑える。
私は成績優秀 冷静沈着 誰にも惑わされず、誰にも負けない。誰にも非を見せることのない人間。哂われることのない人間。
そうなりたい。
そうなるならば、一人孤立しても構わない。誰かにバカにされるくらいなら…
冗談じゃないっ! あんな二人ごときに、私の生活を乱されるなんて。私はコメディーな生活を送るためにこの学校へ入ったんじゃないっ
ひしめく陽の中に、二人の笑顔がちらつく。
信じるなっ!
その笑顔を、二人の言葉を、美鶴はまだ信じることができない。信じてはいけないのだ。
だが…
信じたい?
バカなっ!
浮かぶ言葉を振り払うかのように頭を振る。それでも、一度浮かんだ言葉はなかなか消えない。
信じたい?
除々に胸が苦しくなり、息が切れだす。だがこの息苦しさは、全力疾走によるものばかりなのか?
すれ違う男女の高校生が、美鶴の姿を目で追っては何か言っている。きっと美鶴の周囲は、今まで以上に騒がしくなるだろう。
冗談じゃないっ!
握りしめる掌に力を入れる。
信じたい?
必死に頭を振る美鶴にはまだ、胸に湧き上がる息苦しさの本当の正体を、理解することができなかった。
------------ 第1章 春の嵐 [ 完 ] ------------
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